皮膚と鍼について
皮膚と鍼について
ホームページを作る以前に書いていたもので、ホームページの基になっています。
何かお役に立てば幸いです。
<目次>
1.皮膚
当院の鍼治療におけるターゲットは皮膚です。
皮膚の中でも最も外側に位置する表皮に鍼をしています。
皮膚は外界環境と内部環境の境界ですが、表皮はその最前線に位置しています。
皮膚は全身を保護し、調整している膜です。
身体内部では様々な膜を通じて物質と情報のやり取りが行われています。
全身を包む皮膚は外界とやり取りをするための膜です。
“細胞膜は細胞が機能する上での真の脳である”とは細胞生物学者のブルース・リプトン氏の言葉(「思考のすごい力」より)ですが、皮膚は心身全体が機能する上での情報処理器官と言えます。
感覚器官としての皮膚は触覚、圧覚、温覚、冷覚、痛覚の感覚受容器に加えて、近年神経系と同じ外胚葉由来の皮膚表皮で神経伝達物質や受容体が続々と発見されています。
そして従来考えられていたより遥かに多くの刺激を皮膚で感じ、処理している可能性があることが研究者によって指摘されています。
また、情報処理器官である皮膚表皮には記憶と関連するNMDA受容体も発見されているようです。
皮膚は免疫でも重要な役割を担っています。
皮膚バリアにおけるタイトジャンクション(物理バリア)とランゲルハンス細胞(免疫バリア)の協調したはたらき(※1)や、皮膚常在菌が免疫と関連していることなども発表(※2)されています。
また、皮膚は腸と同じく常在細菌が細菌叢を形成して人体と共生しています。
腸内細菌叢が腸管を通じて脳(精神)へ影響していることや発達障害との関連なども明らかになりつつあります(※3)が、皮膚常在菌にもその可能性はあります。
細菌の間での化学物質を利用したコミュニケーションは研究(※4)が進んでいるようですが、皮膚常在菌同士や皮膚常在菌と腸内細菌との間で何らかのコミュニケーションを行い、精神へ影響を及ぼしていることも考えられます。
しかし近年まで皮膚常在菌の種類や分布などすらよく分かっていなかったようですから、そのはたらきも未知な部分が多いようです。(※5)
皮膚は筋緊張とも関連しています。
精神分析家で医師のディディエ・アンジューは「皮膚-自我」で、
“皮膚は~要するに筋のトーヌスを調整する器官の一つなのである”と述べています。
筋肉が動けば皮膚も動きます。
また、運動時だけでなく静かに立っているだけ座っている時でも筋肉は働いており、皮膚もそれに応じて弛緩・収縮しています。
皮膚が適切に弛緩・収縮できなくなっている場合、筋緊張を調整できません。
筋肉の緊張を戻せなくなり、必要がなくなってからも筋緊張が継続して様々な問題を引き起こします。
しかし筋緊張(運動)と皮膚の関連性について、そのメカニズムはまだよくわかっていないようです。
経験上知っている方は多いと思いますが、皮膚の状態と精神状態(ストレス)の関連も明らかになってきています。
精神的ストレスが強く長く続くと皮膚が荒れますし、逆に皮膚への適切な(快)刺激はストレスや不安を緩和します。
有毛皮膚に終末があるC繊維でも近年新たな発見があり、その機能について神経科学者のデイヴィッド・J・リンデン氏は、
“安心感を伴なう心地よい漠然とした触感をゆっくりと伝える専用のシステム”と述べています。(「触れることの科学」より デイヴィッド・J・リンデン著 岩坂彰 訳)
体毛のある皮膚を撫でることでC触覚繊維を通じて“広汎で心地よい信号”が脳に伝わります。
そういった“接触”が心身(の発達)にどのように影響するか様々な研究がされています。(※6)
また、皮膚への適切な刺激はオキシトシンの分泌を促します。
オキシトシンは自律神経系、神経伝達物質系(ドーパミン、セロトニンおよびGABA/グルタミン酸)、免疫系などと相互作用があるとされます。
そして報酬系とも関連した”オキシトシンシステム”は3歳までに基本的な発達が完了し、深刻なストレス(虐待)によってその発達が妨げられた場合、中毒や依存といった問題への影響も指摘されています。(※7)
ラットの実験では、母親が十分になめたり毛づくろいをしたりして育てたラットと、そうでない(十分な愛情を注がれずに育った)ラットの扁桃体を比較したところ有意な差で後者により多くのベンゾジアゼピン類レセプターがあったそうです。(※8)
(ベンゾジアゼピンには不安を緩解する作用や筋弛緩作用があり、抗不安薬や睡眠薬にも使われています。)
人間においても幼少時における保護者との温かい触れ合いが基本となり、その後の人生(心身やストレスへの対処能力)に大きな影響を及ぼすと考えられます。
皮膚表面電位と感情との関連もよく知られています。
神経学者のアントニオ・R・ダマシオ氏は著書「生存する脳Descartes'Error」において、
“たぶんこれは真実だろう 皮膚伝導反応なしに、ある情動に特有な自覚的な身体状態をもつことはない。”と述べています。
皮膚電位(の偏り)は身体(内臓)状態や病変と関連性があることも指摘されています。
以前は金沢大など医学部研究室でもそういった研究が行われていました。
東洋医学では、
“病の応は大表(体表)に見(あらわ)る” 『史記』 扁鵲倉公列伝よりと言われており、古くから身体内部の異常(病気)を診るのに体表の状態を観察していたことが伺えます。
最近では外界からの電磁波が心身へ及ぼす問題が取り上げられることがあります。
皮膚だけでなく、心臓の洞房結節をはじめ身体内の多くの活動は電気的に営まれており、身体全体が極性を持った電気的(磁気的)エネルギー場とも言われます。
しかしそのメカニズムや役割などについては解明されていません。
渡り鳥がどこでどうやって地磁気を探知しているかなどといった研究は進んでいるようですし(※9)、人間に関しても磁覚に関する研究が発表されました(※10)が、心身との関連などはまだこれからかと思います。
結局、皮膚の働きは常在菌も含めて調べていくほど謎だらけというのが現実のようです。
そのため全体的な説明は東洋医学的な説明に近いものとなっていきます。
たとえば東洋医学では、
“腠はこれ三焦元真を通会する所、血気の注ぐ所となす。理はこれ皮膚臓腑の文理なり。”
「腠者是三焦通会元真之處為血気所注理者是皮膚臟腑之文理也」
張仲景 金匱要略:臓腑経絡先後病脈証 龍野一雄著「漢方医学大系」より
などと言われているのに対して、皮膚の研究者である傳田光洋氏は、
“皮膚はそれ自体が独自に、感じ、考え、判断し、行動するもの"
「皮膚は考える」より
と定義しています。
前出のアントニオ・R・ダマシオ氏は、
“皮膚は恒常性(ホメオスタシス)調節の中心的存在”
「生存する脳Descartes'Error」より
と述べています。
皮膚は神経系、内分泌系、免疫系、そして感情や思考などと密接に関連しているものと思われます。
皮膚(体表)と同じく、そこへの鍼治療の作用機序もまた謎に包まれています。
(少なくとも自分には分かりませんし、知りません)
皮膚への鍼に限らず、これまで鍼灸はその時代の科学的知見(発見)に従って様々な作用機序論が展開されてきました。
それは影を追うようなもので際限がありません。
身体のはたらきは無数にあり、それぞれ関連していますし、今も日々刻々と研究が進み生理学等が更新されています。
作用機序を具体的なひとつの論に限定すると、それ以外の可能性を否定することになります。
皮膚への鍼は科学的な根拠がないということではなく、今の科学の知見ではひとつの明確な答えを出すことができないと考えています。
しかし、詳細は不明ながら体表が身体内部の恒常性維持や外界環境への適応のため、「境界」として統合的に機能していることは確かと言えます。
そのため体表の状態は内界(内部)状態の反映であるとともに、外界との関係性(ストレス)を反映しています。
そういった体表のツボへ明確に認識できない鍼刺激をすることで生じる反応は、経験上、皮膚を鍼で突き破る(刺す)、強く押す・揉む、皮膚を焼く(お灸)、電気を流す、などの強い刺激をされた時とは異なる反応です。
体表の状態は境界のライブ情報としてモニタリングされ処理されていますが、体表のツボはそういったはたらきから一時的・部分的に抜け落ちている(抑制している)ポイントであり、ある種の盲点になっていると思われます。
同じ問題が繰り返し生じる起点、ループポイントです。
そういったツボに鍼を当てて注意を向けることで、治癒力(恒常性維持や外界適応のための活動)が再開もしくは活性化すると考えています。
そして短期的な反応だけでなく、中長期的な(数ヶ月から数年の)プロセスにも特徴があります。
強い刺激治療の場合、続けていくにしたがって次第に刺激に馴れて(感覚が鈍くなって)いきます。
たとえば慢性的な肩こりや筋肉の過緊張による腰痛などに対して強い刺激をすると、はじめの内は大きく変化しても続けていくのに伴ない変化しにくくなります。
しかし体表(皮膚)の鍼は逆に続けていくことで、よりよい状態を少しずつ学習していくように感じています。
体表からはじまる心身の変化が少しずつ学習(消化)されていき、心身(のパターン)が変化していきます。
東洋医学では古くから体表観察と皮膚への鍼治療が実践されてきたため、経験的知識が蓄積されています。
しかし皮膚のみをターゲットに鍼をする治療者は、最近では少し増えているようですが、昔も今もそれ程多くありません。
それは、
・刺す鍼とはやり方(技術)や考え方が異なること
・効果が出るまで習熟するのに時間がかかること(学び始めのうちは効果が全く出ない)
・「何かやってもらった感」がなく、強い刺激を求めている人には向かないこと
などが理由と思われます。
そして皮膚への鍼は東洋医学の原典とされる書物に記載があるにも関わらず、現代の中国(中医学)ではスタンダードな手法ではないため、臨床試験(ランダム化比較試験:RCT)において深く刺す鍼に対するSham(偽鍼)として用いられることが多いです。
しかし、Shamとしてわざとツボを外して体表に鍼をした場合でも効果が確認された研究もあり(※11)、刺さない鍼の専門家が行えば更に効果が出るかも知れません。
今後、皮膚や皮膚常在菌の研究が更に進み、それらの精妙な仕組みがより広く知られることで、皮膚への鍼がShamとして用いられることは減ってくると思われます。
体表(皮膚表皮)への鍼治療は刺す鍼と比べると陰の存在ですが、現代社会において特に必要性が高いと考えています。
自分が鍼の手解きを受けた南谷先生をはじめ、皮膚科学が発達する遥か以前から刺さない鍼(体表への鍼)を実践された先達に感嘆します。
※1「皮膚が備える巧妙なバリア機構を解明」
※2「The skin’s secret surveillance system」
※3「Microbiota Modulate Behavioral and Physiological Abnormalities Associated with Neurodevelopmental Disorders.」
「Mind-altering microorganisms: the impact of the gut microbiota on brain and behaviour」
※4「細菌の世界における細胞間ケミカルコミュニケーションとその分子メカニズム」
※5「Topographical and Temporal Diversity of the Human Skin Microbiome」
※6「The functional organization of cutaneous low-threshold mechanosensory
neurons.」
「Discriminative and affective touch: sensing and feeling.」
「Quantifying the sensory and emotional perception of touch: differences
between glabrous and hairy skin」
※7「Individual differences underlying susceptibility to addiction: Role
for the endogenous oxytocin system」
※8「Maternal care during infancy regulates the development of neural systems
mediating the expression of fearfulness in the rat」
※9「Magnetoreception through Cryptochrome May Involve Superoxide」
「Magnetic Compass of Birds Is Based on a Molecule with Optimal Directional Sensitivity」
「Molecular Action May Help Keep Birds on Course」
※10「多くのヒトは地磁気に対する感受性を潜在意識下で未だに有している」
※11「Acupuncture compared with placebo acupuncture in radiotherapy―induced
nausea―a randomized controlled study」
“近いうちに感覚刺激の欠乏は社会の主要な問題になり、情報の流れのただ中で意味を求める切実な声が上がるだろう。人間は狭い帯域幅に落ち込んで、退屈しつつあるのだ。”
トール・ノーレットランダーシュ著 「ユーザーイリュージョン 意識という幻想」より
2.緊張
東洋医学ではアンバランスな状態を「虚実(きょじつ)」と呼んでいます。
実感しやすいところでは、
・筋肉(緊張/弛緩)
・思考や感情
・感覚
などがあります。
アンバランスな状態自体は身体的もしくは物質的な刺激への対応、環境への適応のために必要です。
しかし刺激がなくなってもニュートラルな状態に戻らない場合、その刺激への反応状態が少しずつ固定化していきます。
それは「感じたこと(記憶)」を「感じていること」として処理している状態です。
新たな情報を得て変化・対応すること(学習・適応)が部分的(一時的)にできなくなります。
外界との境界である体表は反応の門であり、そういった固定化の要です。
固定化は境界を部分的に閉鎖します。
皮膚感覚の知覚が部分的に障害されて(盲点となって)、心身の現状認識が部分的に(もしくは特定の状況において)滞ります。
そして心身の偏り(疲れ)を回復するはたらきが鈍り、分離の感覚や不安が生じます。
強いストレス(ショック)や持続的なストレスは生まれ持った傾向(素因)の上に積み重なり、条件付けとなって影響を及ぼし続けます。
それは治癒力を妨げるとともに、それ自体が心身に症状となって現れてきます。
運動面では身体イメージが部分的に妨げられ、過度な筋緊張が続きます(繰り返し出てきます)。
筋肉と皮膚の緊張・弛緩が適切な状態(位置)からズレています。
それは動き方、姿勢や重心、関節の位置などに影響を及ぼし、身体のコリや動作制限、疲れやすさや慢性疲労、冷え(血流障害)などが出てきます。
精神面では感じ方や考え方が偏り柔軟性が失われていきます。
自己イメージが不安定になることで、周囲(他者)との間に適切な境界を設定できなくなります。
ストレスを溜め込みやすくなり、イライラや不安、劣等感や依存性、衝動性などが表れてきます。
反対に自発性や自立性、考え方や動き方の柔軟性、楽しさ、存在している実感、肯定感などは損なわれていきます。
しかし習慣化され、変化しないものは次第に意識できなくなります。
そして緊張状態が自己イメージの一部となり、それを維持・存続・拡大させようとする強い力がはたらきます。
(自己イメージも対象ですが、そのように認識できないイメージが緊張となっています)
そのため緊張に気づき、解消することが出来ません。
緊張を解除する試みは自己イメージが脅かされるように感じるため、それがたとえ治癒のプロセスであっても反発や抵抗が生じます。
そのため本当に困った状況(状態)にならない限り、本質的に変化しないやり方を選ぶことになります。
よくなっている実感がないまま電気治療や強いマッサージに長期間通い続ける人は多いです。
また、他者から「姿勢が悪い」と指摘されても意味がないばかりか悪化するのはそういった例のひとつです。
それらのやり方は『北風と太陽』のお話に出てくる北風のようなものです。
おなかがが弱っている時に刺激の強い物を食べても更に胃腸が弱っていくように、緊張状態で弱っている体表への強い刺激は禁物です。
(体表も消化管も外界との境界です)
注意の焦点を強制的に変えることで症状が一時的に変化したように感じても、目的とは反対の結果を招きます。
そういったことを繰り返すことで緊張は更に強固になっていきます。
緊張を解除する糸口は境界である体表(皮膚感覚)にあります。
体表のツボへの明確に認識できない鍼刺激によって、ツボ自体が変化して全体に波及していきます。
緊張で閉ざされていたツボは注意深く見守られること(集中)で緊張が解け、適応のための新たなチャレンジ(学習)をはじめます。
刺激を明確に認識できず、意識できないところで変化が起こるため、自己イメージを存続させようとする強い働きに干渉されにくいです
変化に気づくまでに間(ま)が生じ、その後現在の状態を再認識します。
身体の変化で最初に意識するのは多くの場合、筋緊張です。
それまでの状態との差異を感じとること(識別)によって、意識できなくなっていた緊張状態を認識できます。
生じた変化はその後、習慣の根強さや識別力や集中力との関係に応じて元に戻されます。
しかし、続けていくことで識別力や集中力が高まり、無自覚に行っていた緊張の習慣(パターン・傾向・癖)を対象としてより明確に認識していきます。
そして認識や理解が深まることで緊張の習慣は次第に弱まっていきます。
緊張の程度が軽くなり、解消するのも早くなります。
慢性的な症状の場合は元の状態に戻ろうとする力も強く、行ったりきたりする時期や一時的に退化する時期もあります。
しかし緊張への理解が深まるのに伴なって、少しずつ、時には行ったりきたりしながら緊張(の度合い)が弱まり、また緊張に揺さぶられる時間が減っていきます。
体表の鍼治療はそのサポートであり、慢性的な緊張から心身を解放していくためのトレーニングです。
“脱皮できない蛇は滅びる”
ニーチェ 「曙光」より
3.境界
精神分析家で医師のD.アンジューは著書「皮膚-自我」の中で、
“心的なあらゆる活動は、生物学的な機能に基礎をおいている。と述べています。
皮膚-自我もその基礎は皮膚の様々な機能にある”
皮膚へ鍼施術を受けると、境界に対する意識が賦活してきます。
身体面では「どこからどこまでが自身なのか」といった身体境界に対する注意力が向上することで、慢性的な(不要な)筋緊張が変化します。
それに伴なって動き方や姿勢も変わりますし、身体的な他者との距離感(間合い)なども変化していきます。
また、「自分ではないモノ」である老廃物の排泄機能が活性化されたりします。
精神的な面では「自分の気持ち(今ここで自分がどのように感じているか)」に気づきやすくなっていきます
そして対象(他者やモノなど)が自分にとって本当に合うかどうかといった部分が変化していきます。
それに伴なって精神的な距離感や境界線も変化します。
免疫機能は”自己・非自己の識別”ですが、こういった精神的な境界意識は「心の免疫」と考えています。
(皮膚表面は実際に免疫機能の最前線です)
心身の境界意識は生まれもった枠組みを基に、胎内での直観的な触れ合い、出生後は保護者との直接的な温かい触れ合いの中で成長していきます。
そのような保護された環境で、”自分が守られていること”や”接触の心地よさ”等を皮膚感覚を通して自然に意識します。
(皮膚自体が保護器官であり感覚器官です)
乳幼児期の直接的な接触体験が土台となり、その後の他者との間接的な触れ合い方(社会での接し方)が形成されます。
健全な自他境界は健康的に生きていくために必要な能力です。
保護者との温かい接触が自分を守るための境界となっていきますが、必ずしも「保護者=親」ではなく、実の親でなくても信頼できる人間関係からでも学ぶことはできます。
東洋医学では境界について、外部(外界)から内部を衛(まもる)ために体表を巡っている気を「衛気」(えき・えいき)と名づけています。
そして体表への鍼治療が古くから行われていたことも書物に記されており、体表を重要視していたことが伺われます。
乳幼児期に温かい触れ合いが極端に少なかったり不快な(負の)接触が多いと、境界意識は発達を阻害されます。
小さい子供は温かい接触を求めて環境を変えることや不快な接触から逃げることができません。
はじめは不快な接触に抵抗して泣き叫んでも、最終的には接触面である体表(皮膚感覚)から意識を後退させるしかありません。
緊張によって境界を閉鎖することで内側を守ろうとします。
それは緊急避難ですが、その状態が続き慢性化すると緊張と分離の感覚が習慣化されます。
乳幼児期を過ぎても親は子供の境界意識に大きな影響を与えます。
親が慢性的に緊張や不安を抱えていると子供との適切な境界を意識(設定)できません。
親が自分自身の緊張や不安から目を逸らすために子供を犠牲に(ターゲットに)しますし、子供の境界を侵害することで自立(境界意識の発達)を阻み、いつまでも子供を支配しようとします。
子供のありのままを受け入れることなく常に強制・強要・否定で接したり、一貫性なくその時の気分で子どもに怒ることで、子供は落ち着いたり安心できる時と場が奪われていきます。
常に緊張し、安心感や自信が低下していきます。
特に転居・転校や(親の)離婚、死別などは親(大人)だけでなく子供にも強いストレスとなりますが、子供への適切なケアがなされず更に親が自分のストレスを子供にぶつけることで子供のストレスは凄まじいものになります。
不安定な家庭環境(機能不全家族)の中で子供は自分自身を見失っていきます。
境界意識は子供時代に保護者(親)との関係において「自分がどう感じているか」に気づいて対応(尊重)してもらうこと、「ありのままの自分を受け入れられること」などの経験によって養われます。
そういった経験が不足(欠如)していると、自分自身に対してそして周囲に対してそれができません。
体表(皮膚)への自然な意識が部分的に閉ざされている状態であり、境界が適切に機能していません。
新たに学ぶことができず、それまでの習慣(パターン)を継続させてしまいます。
後天的な習慣化や条件付けは常に行われています。
大人になってからの境界の侵害もその程度と自分の対応力に応じて心身に影響を及ぼします。
しかし、心身の基本的な仕組みが出来上がる段階(乳幼児期)や、逃げ場のない子供時代に親との間で培われた緊張の習慣は根強いものとなります。
特に親子関係に問題があったことを自覚していない場合、より強固なものとなって組み込まれて(刷り込まれて)います。
そのような緊張の習慣は身体が成長しても物理的に親から離れても、なかなか心身から抜けません。
(物理的に離れること自体は重要なことですが)
緊張状態が無意識の習慣となっていると、身体も精神も同じようなパターンを繰り返します。
周囲との関係性においては境界(自分の枠組み)を適切に設定することができず、ストレスが容易に「自分」という境界を侵し、溜め込みやすくなります。
立ち直りが遅く、不安感や否定的な感じ方・考え方に支配されます。
温かい(快い)触れ合いの感覚を関係性の基準にできないため、本来自分自身にとって心地よい環境や関係性に背を向けて不快(不適切)な方へ近づいてしまいます。
攻撃的な人間(そういう人もまた境界不全なのですが)のターゲットとなりやすいです。
また、相手(対象)を識別したり理解する過程を飛ばして一体化しようとするなど、盲信、依存、中毒などの問題も生じやすいです。
不安や焦りから自分ではどうしようもない外の問題をどうにかしようとしたり、何か(誰か)に自分の存在を認めてもらおう(期待に応えよう)と無理な行動を続けたりして疲弊していきます。
身体面では慢性的に緊張しているため疲れやすく、肩こりや頭痛、不眠、腹痛(便秘や下痢)に悩まされたりします。
そして、その人の心身の弱い部分から深刻な症状(病気)となって表面化してきます。
東洋医学的には身体と心を守るための衛気が機能不全に陥って治癒力が低下している状態と言えます。
結局のところ、病気そのものも境界の問題に行き着くのかもしれない。しかし、心身に問題が現れても内部の治癒力を信頼すること、安静にして治るのを待つこと、自然な治癒反応に身を委ねること、などができません。
病気になりやすいタイプを予測する研究を見ると、いちばんリスクが高いのは、
自律性をもった自己意識がまだ確立できていない時期に境界を侵害された人なのである。
『身体が「ノー」と言うとき‐抑圧された感情の代価』 ガボール・マテ著 より
安易にその場しのぎの対症療法(薬や強い刺激治療)を繰り返して治癒の反応を止めるなど、治癒力に過干渉して妨げてしまいます。
それはまるで、かつて自分が親からされたことを自身に対して再現しているかのようです。
たとえ薬や強い刺激で問題が改善したように感じても、それは一時的に問題を飛ばしたに過ぎません。
問題を無理に押さえ込み続けることで、ストレスへの防御力や疲れからの回復力は更に低下していきます。
そうすることで辛い記憶に蓋をして自己イメージにしがみつこうとしますが、結局は自分で自分自身を攻撃もしくは無視し続けることになります。
根源的な安心感や肯定感は緊張で覆われ、切り離された分離の感覚(孤独感・不安感)が強まり、治癒の方向を見失っていきます。
境界の問題は学歴、社会的地位や職業、経済力などとはあまり関係がなく、特に宗教が絡んでいる場合は問題が表面化し難いです。
相手の変化を期待していたり、自分より弱い立場の他者を攻撃していても問題は改善されません。
自分自身の境界の問題に取り組まなければ取り巻く困難は変わらず、いつかどこかで方向を転換する必要が生じてきます。
それは自分を攻撃している人を無理に許すということではありません。
自分の限界や無力さを強く感じた時、病気などで死を強く意識した時、大切な人ができた時、などは転機となりやすいです。
そういったきっかけを機に、自分自身の(境界の)問題に取り組んでいくことになります。
緊張状態を解き、自分と周囲との境界を再構築(再学習)していく必要があります。
子供時代にしてもらえなかったことを自分で自身に対して行い、自然なものになるまで習得していくことになります。
身体境界である体表、中でもツボは緊張状態(分離の感覚)と密接に結びついています。
体表の鍼は盲点となっている境界を意識する(体表の状態を対象として意識する)トレーニングです。
境界(の緊張)に耳を傾けることは自分自身の静かな注意深い観察となり、それによって緊張が識別(対象化)され、境界の機能が少しずつ回復(再学習)していきます。
それまで意識できなかった(無視していた)心身の現状(緊張状態)が認識できるようになることで境界の再編・再構成が始まります。
積み重なっているストレスや疲れ、抑圧していた感情や記憶、身体に余分な力を入れ続けていることなどを自覚していくことで緊張が弱まっていきます。
そのプロセスにおいて自他境界を不適切に設定していたり、境界を侵害されていたこと等に気づいていきます。
途中、一時的な不快感や不安感を伴なうこともありますし、周囲との関係性において傷つきやすくなったり軋轢が生じることもあります。
また、それまでできていたことが一時的にできなくなったりすることもあります。
(特に、親から境界を侵害されてきたことへの怒りは認識しやすいですが、その時の辛さや寂しさ悲しさを認識するのはとても大きな壁となります)
しかし、それらは治癒へつながるプロセスです。
退化したように感じても、次のステップに進むためのサナギの状態と言えます。
それまでの境界(枠組み)が再編されていくのに伴なって、変動は徐々に収まっていきます。
そして人間関係や物事の感じ方・考え方、身体のバランスなどが以前より無理のないものへと落ち着いていきます。
問題の深刻さによっては途方もない時間がかかるかも知れませんが、自分自身を静かに見守ることでプロセスは進んでいきます。
体表の鍼治療における治癒プロセス(自他境界の再編プロセス)の内容は人によって様々ですが、その段階にはある程度共通するパターンを見ることができます。
それは文化人類学者であるファン・ヘネップやV・ターナーが示した通過儀礼の過程(「境界前(分離期)―境界上(過渡期)―境界後(統合期)」と似ていると思われます。
それまでの自己イメージが変化(変容)し、自他境界が再編され、周囲との関係性などが変化していくプロセスと言えます。
また、古くから様々な文化で蛇は「脱皮」の象徴とされてきました。
体表部分(の状態)と固定化した(緊張した)自己イメージを識別(対象化)し、抜け出していく(抜け落ちていく)プロセスはある種の脱皮とも言えます。
蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
ブッダのことば(スッタニパータ) 中村元訳より
そして境界再編のプロセスは旅とも似ています。
普段生活している場所とは異なる環境を旅すると、皮膚表面の状態も変化します。
気候の変化への対応だけでなく、通常より周囲に対して警戒したり、逆に通常よりも心を開き状況に身を委ねたりします。
それは「体表-境界」に対して普段より意識的(非日常)になることを意味します。
体表への鍼施術の後も物事をそれまでとは異なった角度や観点で観たり、何か新鮮に感じたりすることがあります。
そういった非日常の感覚(視点)はしばらくすると元に戻ります(消えます)。
しかし忘れてはいてもどこか記憶に残って種になります。
それはやがて日常の中に点として現れて、次第に点が増えてつながっていきます。
体表を巡ることは自分自身を旅することになります。
慢性的な緊張を解いていくための、緊張の源流を辿る旅です。
“犀の角のようにただ独り歩め”
ブッダのことば(スッタニパータ) 中村元訳より
4.ツボ
当院ではコリ(硬結)や圧痛点に鍼をしていません。
訓練された手の感覚を基に、体表のツボを探して鍼をしています。
その位置は教科書通りのこともあれば異なる場合もあります。
体表のツボは様々な要因で変化するのでその時その場の観察が大切になります。
同じ病名でも人によってツボへの現われが異なったり、異なる病名でも同じツボに反応が出ることもあります。
そのため「この症状にはこのツボ」などと一概に言うことはできず、基本はあってもマニュアル化することができません。
自分が先生から学び始めた時にまず戸惑ったのがこの点です。
それまでも様々な勉強会に出席しましたが、「こういう場合はこの状態(証)だからこのツボ」といったことを教える所が殆どでした。
しかし先生はそういったことは一切教えませんでした。
先生がそのまた先生から学んだ手の使い方などは教えて頂いた上で、「手が自然にそこ(ツボ)で止まるようにならないといけない」と言っていました。
基本的に体表の鍼は刺す鍼や指圧などとは異なる技術です。
たとえそれらの技術があっても、はじめは体表のツボを手で感じ取ることができません。
自分もはじめは全くわかりませんでした。
それまでは刺す鍼やマッサージをしていたので、内部のコリや圧痛点を探したり理屈主導で考える習慣がありました。
そういった習慣が残っている間は意識の焦点が体表(皮膚)に合わなかったのか手が固く鈍感だったか、体表のツボを感じ取ることはできませんでした。
体表のツボを実際に感じ取れなければ闇雲に鍼をすることになり、問題が悪化することもあるため治療ができません。
そのため鍼を刺すことやマッサージなどを完全にやめて、体表のツボを手で感じ取れるようになるために探し続けることになりました。
仕事(収入)はなくなりましたが、学ぶことに集中することにしました。
体表(皮膚表皮)の特異なポイントであるツボは、意識できない問題と結びついています。
問題が大きいほどツボは臆病になって頑なに引っ込んで閉じています。
そして敏感に刺激(相手)を判断しています。
刺す、境界を侵害しようとする、その気配だけでツボは閉じていきます。
もし刺されたら、次からはより警戒を強めて問題は更に拗れます。
特に敏感な人や自分の境界を侵害されてきた人は、皮膚(境界)の存在や役割を無視した刺激を受けると問題が悪化していきます。
自分もそうでしたが、それまで鍼を刺していた場合、刺す(境界を侵害しようとする)気配が抜けるまで時間がかかります。
それは自然栽培や自然農法を始めても、それまで使用してきた農薬や化学肥料の影響が農地から抜けるまで何年もかかるのと似ていると思います。
体表を強い刺激で乱したり自分自身に余分な力が入っていたりすると分からなくなります。
水面に浮かぶ木の葉をそっと探すような感じで暗中模索を何年か続けていくうちに、少しずつそういった体表のツボを感じ取れるようになっていきました。
誰でも訓練を積み重ねていくことで体表のツボを感じ取れるようになっていくと思います。
自分の場合は自分と家族で先生の鍼施術を継続して受けて効果を実感したという事実が壁を越えるサポートになりました。
勉強会に毎週参加しつつ、先生に直接的に方向性を示してもらうことの影響は大きかったと思われます。
そして体表(皮膚表皮)のツボを感じ取れるようになると、ツボへの適切なコンタクトが必要になります。
刺す鍼とは異なり、明確に認識されない微細な鍼刺激であり、閾下知覚の領域です。
ツボは権威や虚飾で誤魔化すことはできず、とても正直で嘘がありません。
体表のツボに気づいて、その状態に応じてコンタクト(コミュニケーション)することでツボは開きます(反応します)。
ツボを探すことやツボに触れて反応を待つのは、特に初めのうちは根気と手間が要ります。
練習を続けていくと手が自然にツボに感応してそれに応じた鍼をするようになっていきますし、ツボの方から教えてくれるよう(な感覚)になってきます。
そしてツボの反応も早くなっていきます。
はじめは考えながら行っていたこと(どこら辺にツボがあるか等)が次第に意識しないで行うようになり、逆に後で「なぜそのツボに反応が出ていたのか」などの検証をするようになっていきます。
注意すべき点として、体表のツボに鍼が触れて静かに待つと緊張が施術者に伝わってくることがあります。
そして施術者自身も緊張して、何かしら感情が出てきたり記憶を想起したりすることがあります。
それに振り回されると施術者も疲れていきます。
(刺す鍼や強いマッサージをしている頃はそういった疲れはそれほど感じませんでした。共感疲労と似ているかも知れませんがとても直接的です。)
学び始めの内は特に、ツボから伝わってくる緊張を意識的に解消することが必要になります。
それもある種の技術です。
続けていくとそれほど意識しなくても自然に解消していくようになっていきますが、あわてず、静かに見守ることが大切です。
もう一つ注意すべき点としては、ツボの反応(影響)は施術者の修練が進んでいくのに従って深くなっていくということです。
もし師匠がいなくて自分で刺さない鍼を修行していく場合、ツボに鍼をして反応が出るようになると自分は凄い施術者だと思い上がってしまうことがあります。
しかし、そうなったらそれで修練(の進歩)は止まってしまいますし、ツボの反応も深まっていきません。
師匠がいてもそうですが、特に師匠がいない場合は気をつけないといけない部分だと思います。
体表のツボは自然の成り行きとも言えます。
心身の調子が悪くなると疑心暗鬼になって慌てたり、自分や他者を責めたり、あれこれ考え過ぎて更に悪化させてしまうことは多いです。
しかし、大切なのはまず落ち着くことです。
ツボ(身体や心)の状態、そして生病老死を自然の成り行きと観る施術者の視点は、鍼を受ける人の治癒力をはたらきやすくするのに役に立ちます。
施術者側もその視点がないと、「間違いを矯正する」「自分が治す」などといった考えに陥っていきます。
それは不要な力みとなります。
東洋医学は身体を自然であり小宇宙としていますが、そういった考え方は現代医学と大きく異なる部分だと思います。
東洋医学は漢字という表意文字で、そして陰陽や五行をはじめシンボルやメタファーを使って表現されています。
それは言語や地域を超えて東洋医学が広まるのを助けただけでなく、施術自体にも影響しています。
シンボルやメタファーは身体という自然をより直観的に理解するのを助けてくれます。
そして相手に対してバランスがどうなっているか説明しやすく、また同じイメージを共有することで施術もしやすくなります。
体表の鍼治療はツボを相手とした非言語コミュニケーションであり、どれだけ科学が発達しても陳腐にならない実践的な療法です。
“もっとも偉大なのはメタファーの達人である。通常の言葉は既に知っていることしか伝えない。我々が新鮮な何かを得るとすれば、メタファーによってである”
アリストテレス 「詩学」より
5.学び
普段はあまり意識しない皮膚表面への軽微な刺激によって、身体や心が良い方向へ変化したことを実感すると、なぜそうなったか自然と興味が出ると思います。
(少なくとも自分はそうでした)
生じた変化が元に戻ったように感じても、そのような記憶はどこかに残っており、全く元に戻るわけではありません。
特に興味と結びついた感覚の記憶はなかなか消えません。
そして皮膚表面へ鍼施術を受けた感覚を、イメージで再現できるようになっていきます。
はじめは意識的に、次第に意識しなくても再現するようになります。
イメージで再現することで、鍼を受けたときと似たような効果(変化)が生じるようになっていきます。
慣れてくるとあまり意識しなくてもできるようになり(身につき)、自然なものになっていきます。
そして以前より落ち込みが少なくなったり、落ち込みから抜け出すのが早くなります。
体表の状態は身体と心の状態に深く関係しています。
体表をイメージで辿っていくことは「感じ取るトレーニング」であり、「触れるトレーニング」です。
普段忙しい日々の中で埋もれがちな心身のアラームに気づくことは大切です。
それによって疲れからの回復や緊張の解消が促進されます。
また、自分の感情(本当の気持ち)に気づくことで、生き方や関係性がより無理のない方向へ向かっていきます。
最初は定期的に鍼治療を受けるとイメージで再現しやすいと思います。
「体表に鍼を受けて緊張が解けるプロセス」と「緊張が解けた状態」を繰り返し身体に覚えさせていくことが大切です。
1人で体表をイメージで辿っていくコツとしては、易しいところからスタートすることです。
気を付ける点としては、
- 症状が強くない時に行うこと
- 症状がない場所に行うこと
- 片側ずつ行うこと
- 点(ツボ)より太目の線でなぞるようにイメージすること
- イメージした後しばらく休憩して変化を確認する
自分で体表を軽く触れる(手の届く場所であれば)、体表を意識しながらゆっくり動く、床の上で仰向けになり静かに呼吸しながら体表の感覚を味わう、なども効果的です。
人それぞれの性質(体質)に合ったやり方があるので、試行錯誤しながら自分に合ったものを見つけていくとよいと思います。
そして、
「①現状観察~②試してみる~③変化を確認」
といったサイクルを繰り返していくことで感じ取る能力が高まり、心身への理解が深まります。
身体(体表)の各部分に集中していくと、どうしても意識しづらい箇所が出てきたりします。
そのような部分は緊張と結びついています。
少しずつ意識していくことで、それまで抑えられていた緊張が表層へと出てきます。
慌てず、流されず、無理をせず、静かに観察していくことで、そういった緊張は解けていきます。
途中で後戻りすることや、精神的にきつい時期もあるかも知れません。
でも長い目で見ると少しずつ進んでいます。
焦らずヤケにならず、着実に進んでいけば、よい状態は広がって深くなっていきます。
身体が以前より楽になり、不安感なども少しずつ低減していきます。
ミヒャエル・エンデは「モモ」の中で
“オソイホド ハヤイ”という表現を使っていますが、それはこういったことにも当てはまると感じています。
何か急激な変化を求めるよりも、自然に無理なく進行していると感じる方が効果的です。
それまでとは異なる、新たな感じ方・考え方・動き方のルートを切り開いていくことは学習です。
そういった創造や変化を実感すること、それ自体楽しいことです。
学習というより身体を使った遊びと言った方が近いかも知れません。
多くの人が子供の頃に感じていたことです。
学ぶことに限界はなく、いくつになっても学ぶのに遅いということはありません。
“一番難しいことは自分を知ること。一番簡単なのは人に忠告すること。一番楽しいことは学ぶこと。”
ターレス (ギリシャの哲学者)
6.中心
主に体表(目耳鼻口含めて)で感じた刺激と反応の情報を基に、対象(世界).が映し出されます。
当然のことですが、遠く離れたものを遠く離れた場所で感じているわけではなく、そのように情報を処理しているに過ぎません。
そして、「自分」もまた映し出されたイメージです。
大きなショックがあったり、ストレス状態が長く続くと緊張が生じます。
それらは身体感覚の情報を一時的に閉鎖します。
その要が境界である体表(皮膚感覚)です。
全体的な閉鎖だけでなく、部分的な閉鎖もあります。
境界のある部分が閉鎖されるとそこから新たな情報が入ってきません。
そこでは緊張した過去の(未処理の)情報のまま更新されず、身体と心を特定の刺激-反応パターンに閉じ込めます。
そういった状態が続くと身体の部分的な緊張状態が続いたり、分離の感覚から恐れや不安が生じてきます。
自己認識が部分的に障害されているので心身の偏りを回復できなくなり、弱いところから問題が症状となって表面化してきます。
長く閉鎖した体表部分(緊張)は自己イメージと結びつき、対象として意識することができなくなっていきます。
(本来、自己イメージも対象ですが、そのように認識できないイメージが緊張となっています)
そのため症状が現れてもその問題の根本の緊張には気づきません。
そういった慢性的な緊張は境界上(体表)で虚実(偏り)を固定している状態です。
その状態を維持するために境界(のポイント)へ過剰に注意(エネルギー)を注いでいます。
その場合、境界と中心の関係では、
「境界が実で中心が虚」
となっています。
その状態から脱して、中心の虚が実していくことがここでの鍼治療の目的です。
中心は文字通り、”心の中”です。
東洋医学で心(臓)は「君主の官」であり 、「神明これより出づ(素問:霊蘭秘典論)」 と書かれています。
そして心は小腸とともに君火(君主の火)が配当されています。
小腸は消化吸収の要であり、東洋医学における位置では重心です。
動きや姿勢の中心であり、丹田・肚です。
臍周囲の動気は「腎間動気(陽気)」と呼ばれ、「生気の原、十二経の根本、五臓六腑の本、呼吸の門、三焦の原、守邪の神(難経8難)」などと言われ重視されています。
君火は君主であり「絶対」「無相」「根源」です。
そして「相を宰どる」のは相火であり、宰相の火です。
相火は「名前はあるけど形はない(難経25難)」とされ、身体における機能は三焦(さんしょう)、精神・感情における機能は心包(しんぽう)と呼ばれています。
三焦は”外府”(難経38難)とも呼ばれます。
心包は心の機能を代行し、心を包み胸に位置するとされてます。(素問:霊蘭秘典論「膻中は臣使の官。喜樂これより出づ」)
「境界が実で中心が虚」の状態は、相火が乱れて君火を遮った状態です。
宰相が君主から国を乗っ取った状態では国(心身)は乱れます。
宰相は君主の下で働くことで国が治まります。
明確に認識できない鍼刺激によって閉鎖されていた体表のツボが開く(反応する)と、緊張状態が解けます。
そして治癒力が再開・活性化して、心身の偏りが解消していきます。
生じた変化は習慣(パターン・癖)の根強さに応じて次第に元の状態に戻されていきますが、施術を続けていくことで少しずつ固定化された(習慣化した)緊張が解けやすくなっていきます。
それはある種のトレーニングです。
体表状態を意識する能力(識別力)が少しずつ高まり、体表のポイントや部分と同一化していた「緊張した自己イメージ」の対象化ができるようになっていきます。
ツボは結び目であり、そこに注意を向けることで観点の変化が生じます。
それまで絶対と思っていた自分が、対象との関係(記憶)に基づいた相対的(皮相的)な自己イメージだったことを認識します。
そうした体験(観点の変化)を積み重ねていくことで、注意の焦点が少しずつ中心へと移行していきます。
体表を対象化(観察)しているそのものへと注意が向かうことで、緊張(同一化)への気づきが生じやすくなり、解消(回復)しやすくなっていきます。
緊張のレベルは様々です。
ある部分(テーマ)の緊張が解消すると、次はより根深く、より強い問題(緊張)に取り組んでいくことになります。
そして新たな問題ごとに、それまでできていたことが一旦できなくなったり、解消していたことが戻ってくるなど一時的な退化を伴なったりします。
進んでいるのかどうかわからなくなる時もありますが、問題を乗り越えた後で振り返ると少しずつ進んでいます。
変化するべき時に変化していくとも言えます。
中心(重心)は常にあります。
集中することで中心(重心)があらわれてきます。
そし力みが抜けたり、不要な想念が鎮まっていきます。
漢字で言えば”想”から”相”が抜けることで、”心”(君主の火)が残るとも言えます。
「それ」は様々な感情(怒喜思悲憂恐驚)の一つである「喜」とは異なります。
東洋医学の先人たちは本当にうまく言葉を使っていると思います。
治癒を求めて身体の辺境(境界)地帯である体表へ旅に出ると様々な発見をしていきます。
感覚の違いに驚いたり、長らく忘れていたことを思い出したり、それまで気づかなかった疲れを実感したりします。
体表は境界であり、境界上では感じるものと感じられるものは一つです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
“明確な意識に支えられた巡礼者にとって、巡礼とはコミュニタスを体験する機会であるとともに、治癒と再生の源であるコミュニタスの根源へ到る旅でもあるといえよう。”
ヴィクター・ターナー 「象徴と社会」より