鍼刺激と学習


習慣の変革について

これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず

論語 雍也第六


鍼刺激と学習


刺激治療は問題や目的によって手法や考え方が異なります。
治療を受ける前に、
「自分はその治療に何を求めているのか」
「治るとはどういうことか?」
などを考えて、それに合ったアプローチを選択する必要があります。

刺激治療でよくあるのが、
「身体は何か強い刺激をしなければ変わらない」
といった考えです。
そういった考えと 、
「手っ取り早くスッキリしたい」
「とにかくすぐに大きな変化が欲しい」
といった想い(欲望や不安)が合わさることで、即効性を謳う宣伝や大盛り刺激(強い刺激)に流されていくことになります。

たとえば便秘に対して強い刺激をすることで腸が動きだすことは多いです。
しかしそれを続けていくと腸が動くのに「強い刺激」というきっかけが必須になってしまいます。
そして強い刺激を続けていくと少しずつ鈍くなり、効かなくなっていくことは多いです。

風邪で発熱している時に鍼をブスッと刺すことで熱が一時的に下がることもあります。
しかし身体が細菌やウイルスと戦うために発熱している場合、それは問題を先送りすることになります。

基本的に金属(鍼)という異物が皮膚を突き破って入ってくること、皮膚に火が近づくこと(直接灸)、電気を流されること、などは身体にとって緊急事態であり大きなストレスです。
そのため心身はそちらへの対応を優先します。
心身状態が強制的に切り替えられることで、症状も大きく変化することは多いです。
東洋でも西洋でも瀉血が治療の中心だった時代がありましたが、劇的な変化が生じることもあったと思われます。
外からの強い刺激は身体の自然な治癒の働きを妨げることもありますが、根の浅い問題や自然に治る怪我などであればマイナス面は目立たず治っていきます。

しかし記憶や習慣から生じる慢性的な緊張とそれに関連した症状に対しては、「強い刺激≠大きな効果」です。
強い刺激を繰り返し用いる程、治癒や回復のはたらきを妨げることになります。
習慣となっている緊張はそれが根強いほど自覚が乏しくなっているため、緊張が症状と関連していることもなかなか認識できません。
それゆえ治療を受ける側も行う側もよく考えないまま、

「刺激は強ければ強い方が効く」
「症状は身体の間違いだから抑え込むべき」
「痛い刺激に耐えることで効果があがる」
「形が悪い(歪んでいる)から矯正が必要」

などと考えて、強い刺激に流されていくことになります。
それは緊張している人に「緊張するな」と命令・強要するのと似ています。
たとえ一時的によくなったように感じても本質的な解決を先送りしただけです。
根本の問題(緊張)は水面下で問題は大きくなり、やがて酷くなって戻ってくるか他の症状となって現れてきます。

習慣的な緊張は、「気になっていること=注意」が固定化して同じ所(パターン)をグルグル巡っている状態です。
身体感覚、感情、思考などがアンバランスになった状態が習慣化して、症状も慢性化しています。
それに対して強い刺激で注意の焦点や心身状態を強制的に変えても、やがて戻ってきます。
麻痺させるような刺激も同じです。
一時的に問題を感じなくなるだけです。
繰り返していくと緊張を更に強めたり新たな緊張を作りだすなど、問題が一層こじれていきます。
特に敏感で繊細な方、そして境界意識が弱い方(境界を侵害されてきた方)は問題が複雑になりやすいです。

そういった強い刺激で(力づくで)変化を起こそうとする考え方・やり方は抑圧的です。
そして体罰(暴力)や虐待、そして依存症や中毒などと構図が似ています。
強い刺激を続けることで、やがて心身の状態を感じ取る能力が低下して異常を異常と感じなくなっていきます。
より強い刺激や頻度を求めるようになり、悪循環から抜け出すことが難しくなります。
不要な緊張から抜け出すためにはショック療法や根性論ではなく、肩書きや権威への盲信でもなく、自分自身への気づきと学習(トレーニング)が必要です。

ここで行っている体表の鍼治療はそのための方法の一つです。
体表という現場(境界)だからこそできることがあり、東洋医学で古くから実践されている手法です。
トラブルを強制リセットで解消するような即効性を求めるのでなく、もつれた糸を解いていくように焦らず時間をかけて進めていくことが大切な分野です。
そして画一的な流れ作業ではなく、個々を観察してその個性に応じた施術が必要となります。


■習慣的な緊張

習慣的(慢性的)な緊張の中で、わかりやすいのが筋緊張です。
それは力を入れる必要がない筋肉に力を入れ続けている状態です。
肩こりだけでなく頭痛・腰痛・膝痛・顎関節症などの痛み、そして姿勢などにも影響します。

筋肉が緊張する際、皮膚と筋肉は連携して動いています。
しかし慢性的に筋肉が緊張している場合、自分が不必要な力を入れ続けていることを意識できなくなっています。
そのため不要な筋緊張を緩めることができず、筋肉を動かそうとすると動作制限や引っかかり、痛みなどを感じます。
ひどい場合は動かさなくても(姿勢を維持するだけで)痛みが出ますし、その部分の血流が妨げられて冷えたりもします。
それで病院に行くと様々な病名がついたりします。

慢性的に緊張している筋肉を無視したまま、他の筋肉に力を入れることでバランスを取っても本質的な解決にはなりません。
筋肉のコリをとって(ほぐして)もらっても、矯正してもらっても、強い刺激で麻痺させても、筋弛緩薬を用いても、、鎮痛剤(痛み止めやシップ)などを常用しても解決は更に遠のいていきますマウスピースやサポーターをして歯や関節の保護をしても、緊張自体は変わりません。
固い食肉はミートテンダーを刺したり叩いたりすることで柔らかくなりますが、生きている身体(筋肉)は死んだ肉とは異なります。
刺せば刺すほど柔らかくなるわけではありません。
むしろ「外から何かしてもらわないと筋緊張は解消されない」といった思い込みが強まり、自分で解消する能力は更に弱まっていきます。
結局のところ、自分自身で筋緊張を解消する力に焦点を当てなければ根本的な問題は改善されません。

筋肉の緊張(コリ)は緊張の結果に過ぎず、問題は筋肉にはありません。
筋肉を緊張させている指示(記憶から生じている習慣)が現実(必要性)と合っていないことが問題なのです

そしてそういったアンマッチを認識できていないことが問題の解決を妨げています。
その状態を強い刺激や薬でほぐしてもらうのは、出された宿題を他者にやってもらうのと似ていると思います。
自分自身の緊張に対する認識や理解は深まらず、いつまで経っても宿題を自分で解けるようにはなりません。
自分でできるようになるまで同じ問題が名前や場所を変えて繰り返し出されますし、拗れてどんどん酷く(分からなく)なっていきます。

慢性的(習慣的)な筋緊張を変化させていくためには、まず自分で緊張に気づくことが必要です。
それは「本によると○○筋の緊張」などといった外的な知識とは異なります。
そういった知識は実際に自身の習慣的な緊張を解く際には殆ど役に立ちません。
たとえ時間がかかっても自分自身で問題に気づき、解いていく方が結局役に立ちます。
体表の鍼治療はそのサポートであり、自身で鍼の効果を体得(学習)すること、それが自然なものになっていくことに価値があると考えています。


学び方

体表の鍼治療の効果は自分で再現できるようになり、よりよい状態が身についていきます。
はじめは意識的にイメージで鍼の効果を再現しようとします。
それが次第にスムーズにできるようになると、意識しなくても自然と再現されるようになっていきます。
そして以前より落ち込みが少なくなったり抜け出すのが早くなります。
緊張や疲れに気づき、解消するプロセスの改善であり上達です。
それに伴い識別力や集中力が高まり、身体や感情・思考を意識できる範囲が広く深くなっていきます。
そして次第に鍼治療を受けなくても自分で進んで(学んで)いくことができるようになります。
境界を侵害される恐れのない安心安全な刺激(環境)でこそ、新たなチャレンジ(学習、習慣の変革)を始めることができます。

逆に麻痺させるような刺激や強過ぎる刺激(と効果)は自分で再現できませんし、長く続けていくと耐性(馴れ)が生じます。
「最初の頃より効いている日数がだんだん短くなっていく」
「同じ刺激量では物足りなく感じるようになった」
という話を耳にしたり、ご自身で経験された方も多いと思います。

強い刺激で緊張やストレスを一時的に飛ばすことはある種の快感となり、エスカレートしていきます。
長期間に渡って抑圧して自分自身(の問題)と向き合うことが難しい場合、肯定感が低く依存的だったり自罰(自傷)的な傾向が強い場合は尚更エスカレートしやすいです。
より強い刺激や頻度を欲するようになり、感覚が鈍く粗雑になり、識別力が低下して疲れやストレスへの気づきと対応が遅れます。
回復力や防御力は更に下がり、緊張や不安は高まり、身体と精神はガチガチに固まっていきます。
セリエのストレス学説が「警告期→抵抗期→疲憊期」といったプロセスを辿るように、体力に余力がある間は何とかやっていけますが次第に消耗していきます。
心身が弱った時や高齢になってから問題がまとまって噴出してくることもあります。
特に長期間にわたって自分自身の境界を侵害されて鈍感になっている場合、境界を侵害される強い刺激治療に引き寄せられてしまいやすいです。
それは子供の頃に親に虐待された人が大人になって親と似たような人物をパートナーに選んでしまうのと似ています。

刺激量の過多(やり過ぎ)が強く戒められる理由もこういった所にあります。
「いろいろな方法で沢山やってもらった方が早く治る」
と考えている人は多いです。
そしてそういった患者からの要求に対して応えてくれるのがよい先生と思われたりします。
それは「薬を沢山出す医者がよい医者」と言われるのと似ています。
慢性的に緊張している場合、“自分自身が本当に必要としていること”が分からなくなっています。
解決するべき問題や進むべき方向性が見えなくなっているため、漠然と「何かやってもらった感」を求めてしまいます。
刺激が多くなることで一時的な満足度は上がるかも知れませんが、本質的な解決は遠のきます。

習慣の変革とは学習であり、何かを学ぶ際に消化できるペース以上の課題を与えられたら混乱します。
施術のやり過ぎは教え過ぎと同じで、学びを遅らせます。
一度にたくさんの(様々な)施術を受けるよりも、状態を確認しながら着実に進めていく方がよいです。
適切な刺激+学習=確かな効果
であり、よりよく学ぶためには消化可能なペースを守ることが大切です。
そして検査数値の改善といった具体的な目標を目安にすることもよいですが、学ぶことそのものを楽しむ方がより効果的です。

新たに学ぶ際は不要な物事を排出し新たな物事を取り込みます。
それは境界の機能そのものです。
体表の鍼治療は境界のトレーニングであり、 学び方を学ぶトレーニングになります。
いくつになっても学ぶことは可能です。



ページトップへ戻る

   
          

    次のページへ




目次


Copyright©2012 Naohiro Fukayai All rights reserved.
当ホームページ上のコンテンツ(文章など)の無断転載は禁止します。